3.11・原発関連書籍 メモ

①「福島原発事故独立検証委員会」、Discover21

事故の詳細な時系列の展開がこれほど具体的にまとめられてる本はないと思う。事故がまぎれもなく人災であるとわかる政府・東京電力の対応、問題の所在など、ボリュームはけっこうあって読むのに体力いるが、買うに値する。仙台市役所の人もこれは本当にいい本と絶賛していた。地名・人名(東電の人の名前など)・原発関連の専門用語に関してある程度知識がないと読むの詰まるかも。

②「ツナミの小形而上学」ジャン・ピエール・デュピュイ著、岩波書店

2004年にスマトラ地震を受けて書かれた本だが、今回の震災を機に訳書が出版。哲学的な内容。内容では一番衝撃を受けた。内容は話しだすときりがないが、帯が「大災害はなぜいつも想定外なのか」というのは内容をうまく宣伝してると思う。

③ 「東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか 」鷲田清一・赤坂憲雄著、講談社

対談形式であっという間に読めて、内容も引き出しが多く具体的で、初めて聞くような話も多く面白い。上記「ツナミの小形而上学」はこの本で知った。

④ 「原発危機と東大話法」安冨歩著、明石書店

原発関連の本で一番金返せと思った。序盤に、僕もある時原発について考えている時に考えが及んだエントロピーの話が出てきてシンクロ感を感じたが、文体・内容ともに中盤以降かなり嫌気がさして、一応全部読んだが何も頭に残っていない。

⑤「高校生からわかる原子力」池上彰著、集英社

福島原発事故についてわかりやすく語った本かと目次も見ずに買ったが、原子力の歴史(日本のも、世界のも)と問題点 (使用済燃料処理等)についての本。知識の整理に良いかも。

⑥ 「創 2012年 9・10月号」

ポスト3.11三部作を製作中の園子温監督のインタビューが載っている。

⑦ 「災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか」田中幹人著、ちくま選書

早稲田のジャーナリズムかなんかのコースの修論の一部らしく、データっぽい(データの多さのわりにそれの考察が少ない)かんじがした。小出さんの論じるような原発の持つ差別的な性格についての本かと思ったが、強いて言うならメディア論か?

⑧  「今こそアーレントを読み直す」仲正昌樹著、講談社現代新書

これも2009年出版で、上記「ツナミの小形而上学」で引用されていて知って読んだ。ハンナ・アーレントはハイデガーの恋人でもあった政治学者で、ナチスの話(アイヒマン裁判)などが多く書かれている。善意・悪意のない悪・大きな政治的出来事にどう一個人がコミットするかについてのハンナ・アーレントの考察は、ジャン・ピエール・デュピュイ同様、あたかも原発事故を語っているようだった。

⑨ 「ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図」講談社

NHKの番組制作の記録。詳細な地図が載っているわけではなく、番組取材陣自体の直面した問題についての本。報道という側面から3.11を考えるののはじめにはよいかも

⑩⑪ 「食品の放射能汚染 完全対策マニュアル1・2」宝島社

本の7割方は読むというより、食品を買う時に参照する内容。色々な食べ物の汚染の分析データが1ページ2項目で何百種類もの食品が掲載されている。2のほうは小出さん監修、また特集記事のセシウム入りハンバーグの記事が印象的だった。100ベクレル/キロ以下だと安全といって何ベクレルか知らないで食べるか、6ベクレルだと知ってハンバーグを食べるか。表示なしでこのまま続くのと、段々と放射性物質が多少は入っている事実を段々と忘れさせ、また安全神話のような仕組みに騙されるようにしか僕は思えない。あと、2のほうが加工食品を中心に分析していること、また各加工食品の素材がどこから集まってくるか、国内自給率、ソバ・大豆・米という日本人の主食が放射性物質を含みやすいということも知り、色々勉強になった。

⑫⑬⑭⑮「原発のウソ」(扶桑社)、「騙されたあなたにも責任がある」(幻冬舎)、「図解 原発のウソ」(扶桑社)、「原発はいらない」、小出裕章著

古本屋で安かったのでまとめて購入。小出さんは本よりも、実際話しているのを聞いたほうが、小出さん自身の話し方の懸命かつ丁寧さもあるし、本に書いてある内容もだいたい聞ける。そういう意味では「図解」以外はあまり読み返していない。youtubeでたくさん小出さんの講演や出演番組のビデオやMP3があるが、特に印象に残ったのは

「優しく生きることと原子力」(長いが、題名が作品を書くきっかけになった)

「たねまきジャーナル」(貴重な情報源の番組、情報量かなり多い)

⑯「100,000年後の安全」マイケル・マドセン著、かんき出版

同名の映画もある。フィンランドのオンカロという場所に使用済燃料を埋めて10万年後まで密閉するという実際進行しているプロジェクトのドキュメンタリー。10万年後の人類に、その場所が危なくあけてはいけない場所だとどう伝えるかを真剣に考えている姿を見ると、こんな未曾有の原発事故が起きたのになんて想像力が欠如した状況・反応が世の中に蔓延しているんだろうと途方にくれる。

⑰「原発大国 フランスからの警告」山口昌子著、ワニブックス

フランスは独立のために原発(フランスは、電力は70%以上原子力だと)を保有しているということがかなりはっきりしている。安全神話もなく、ある程度のリスクを承知している。はて、日本は?という内容。論じているのはフランスだが、作者の想いは日本を向いているのを文から感じた。

 

南三陸ボランティア情報

昨日まで震災ボランティアに行ってきた南三陸。情報はもちろんありますが、日々変わっていっているので、自分の情報整理がてらで文章雑かもですが、現地で得た情報と併せて書きます。

この点強調しますが、東京から金曜深夜発、日曜日の日中か夜帰りができる方は、1万円かからずに行けます。

この南三陸は石巻・気仙沼などと比較すると特に人が足りないとのことです。僕も継続して行く予定(行こうと検討する方は一声おかけください、複数人数で行ったほうが安上がりなので。仕事もバイトなので、事前に日にちが決まってれば休もうと思えば休めるので)ですが、誰かしら行くきっかけになれば幸いです。

今回行ったのはここ。南三陸町ボランティアセンター HP

(http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10407)

仙台駅でレンタカーなどして車で行くのがベストな場所ですが、金銭的にも複数人数じゃないとなかなか難しいかもしれませんので、主に公共交通手段、宿泊場所等の現地に行ってわかった情報です。交通手段は東京発着を前提にしてる情報です。

高速バス+電車 (土曜・日曜のみ可能な乗り合わせ)

まず5:30着の高速バス(東京金曜・土曜深夜発)で仙台駅着 (一番安価なもの、2500円で行けます。さくら観光  http://www.489.fm/ )

そこから現地までの乗り合わせ(上は電車、下はバス。バスはベイサイドアリーナ駅で下車)↓

ボランティア開始は9時なので上記方法で間に合います。

帰りは、4/8まで終了時刻が14:30でしたが、昨日から15:30になったので、上記ルートの逆ルートが終電に間に合わなくなりました。

よって、公共交通手段を利用する場合、どこかに宿泊する必要があります。ただ、ボランティア参加者の多くは車で来ているので、途中どこかまでリフトしてもらって石巻等から仙台発東京着夜行バス出発までに高速バスで間に合うことができる可能性は非常に高いです。

リーズナブルな宿泊場所

1. 修空館道場、ここ安い!

( http://npo.saloon.jp/jek/volunteer_03_pc.htm)

2. 平成の森

3. ニュー泊崎荘

(http://www.tomarizakisou.co.jp/)

4. ボランティアセンターにテントで宿泊

500円で貸し出しもしてるそうです。コンビニは車でいける範囲にセブンイレブンがあります。買い出しする人は少なからずいるはずなので、行くって言えば誰か乗せてもらえるでしょう。

以上で、翌日仙台駅日中発のバスには、調べてませんが各宿泊先から公共交通手段で帰る手段はあるかと思います。

また、カリタスジャパン(ミッション系NGO)で来ている人が多く、下記HPを見ればわかりますが、特に土曜日朝に仙台駅に着ける人には非常に助かる拠点地までの送迎があります(拠点地から仙台駅まではなし)。食事もついていて、曜日が合う人にとってはこれは非常に助かる施設です。

http://caritasjapan.jugem.jp/?eid=69

以上が、簡潔ですが、情報です。

これは主観ですが、街の中心は荒地のようになっていますが、元の光景を知らない自分にとっては、元々何があったのか分からない程にあまりに多くのものが流されすぎてその光景からショックを受けることはありませんでした。

むしろ現在南三陸を取り巻く状況であるとか現地民の方やボランティアスタッフの人々の話ややりとりから、3.11がどのような出来事だったのかということがじわじわと感じられ、そっちの方にやはり心が動きました。

鹿児島・福岡・神戸などからわざわざ来ている人もいましたが、本当に人が足りない(特に平日は)とのことです。仙台からも全然人が来ないそうです。僕は 2ヶ月に1回(理想は1ヶ月に1回)は行こうかと考えており、他人を巻き込んだほうが安価に行けるので、一緒に行ってもらえる方是非お知らせ下さい。知り合いじゃなくても、このブログを偶然見た方でも大丈夫です。(ma.ligne.de.chance@gmail.com)

東京で俺が知らない道はない (六郷土手〜矢口渡) I know all roads in Tokyo except for where I have been to / Along the river Tama

東京で俺が知らない道はない (六郷土手〜矢口渡)

I know all roads in Tokyo except for where I have been to / Along the river Tama  *English explanation is below Japanese

主に都内を歩いて、行く先々で起こることや起こらないことを観察する「東京で俺が知らない道はない」、今回は京浜急行 六郷土手駅〜東急線 矢口渡駅付近を往復(約7km)してきました。

3時頃スタート。12年間世話になった京浜急行の非常に高さの低い高架をくぐり、多摩川上流方面へ。

JRと京急の線路の間には非常に真っ直ぐな公園。見渡しがよくこんなまっすぐな公園は河川敷ならでは。人がいなく驚くほど静かで、平日ならばセリフとかを喋ったらけっこう聞こえるに違いない。

サイクリングロードを上流方面へ。二人の女子学生を狙って(もちろん、写真的な意味でねw)写真を撮ったり、ムービーモードにしてピントをあわせる練習などをした。このポイントは六郷土手駅から京急とJRの高架をくぐってすぐの場所だが、遠くに少し高めのビルが入って、左はグラウンドがあって道は右に曲がっていくので非常にバランスが良く、夕暮れ時に戻ってこようと思いひとまずさらに上流方面へ。

先程も言及したように、あたりは非常に昼なのに静かで人の話している声や、走っている時の息遣いや、自転車を漕ぐ音ははっきり聞こえるし、電車が通れば遠くのほうで響いているのがクリアに聞こえるわけですが、この二人と適度に距離を保ちながら後ろから写真を撮り会話を聞いていたところ、演劇かなんかのセリフの練習をしていて「でも、僕らはまだスタート地点に立ったにすぎない」とか言ってた。ちなみに僕はサングラス+フード+けっこうローアングルからムービーモードを試していたりして、怪しまれたのか時々振り向かれたが、その度に「違った物を撮ってるんだよ」アピールをした。

東急の矢口渡駅付近で光景があまり面白くなくなったので引き返した。その先に行くと、ガス橋という変な名前の橋があったが、これは東京ガスが鶴見の工場から都内へいろいろガス関連の物を運搬するために作った橋なんだということ。パリでもロンドンでもそうだったが、やはり地名とか通りの名前とかそういったものが気になる。

六郷土手まで戻る途中、僕も小さい頃よくやったが、グラウンドでゴールなしサッカーをしていた。全会一致でゴールだとすんなり決まる場合もあれば、「いや、今のはポストぐらいだ」とか「明らかに枠からはずれていた」と想像上のゴールの議論となる時もあった。

構図が良かった3枚目の写真付近まで夕方4半時ぐらいに戻ってきた。ちょうど下校時刻ぐらいでちょうどよいのではと川沿いの日なたのベンチで小説を読みながら学生が来るのを待っていた(特に5人ぐらいの集団に来て欲しかった)が、待てどもジジババランナーと犬の散歩とキャッチボールの親子だけで、1時間ぐらい待っても学生は誰も来なかった。登下校ルートではないのか、と諦めて帰った。

帰ろうとして駅へ足を進めようとしたその時、誰もが忘れ去っていたタマちゃんが姿を見せた。

しかし、タマちゃんの追おうと僕が数歩足を進めると、タマちゃんの姿は消え去ってしまった。海に帰ったと言われているあのタマちゃんの姿は、現実なのだろうか、僕の幻想なのだろうか。そう思いを巡らせながら、最も現実的な食べ物のうちの一つである唐揚げ棒を食べながら家路についた。

Today I walked along the river Tama, which is the border of Tokyo prefecture & Kanagawa prefecture. Along the river, it was incredibly silent. I could even listen to what two school girls in the third &  fourth pictures talked about. Guess what they were talking about? Actually, they did practice of a play. One of the girls said “It’s just the start point for us. The long road continues from this point” in a very serious tone of the voice. It was funny, but very appropriate place to practise play’s line.

As I felt the composition of the third & fourth pictures are good – broad playground left side, the winding road goes right direction, relatively high building a couple of kilometers away, and students walking – , I stayed this point for about an hour to wait for group of students coming. However, they were the last students passed here while I was at this point. 120 pages, I read a novel.

Another thing what I was impressed is football without the goal, although I did the same thing when I was child.  Sometimes I saw the players argued whether the shoot was scored or not, other times they didn’t argue at all as it was obvious the shoot went into the goal mouth. They could see the imaginary goal which I couldn’t recognise.

映画レビュー 東京プレイボーイクラブ

2/14 渋谷ユーロスペースにて

mixi レビューにこの映画の項目がないのでこちらに殴り書き。

同じ劇場内での話だが、前評判がすごいよかったNINIFUNIよりこちらのほうが断然よかった。同い歳の監督ということでその点でも刺激を受けた。

まずユーモアのセンスが素晴らしい、緊迫した場面で突然てんとう虫のサンバが流れたり、サロンの3人の会話とかも、どこまで脚本に書いてあるのかわからないけどあの「いるいるこういう人」的な雰囲気が絶妙。

僕が最近話を書いていて意識しているキャラ作りも脇役に至るまでしっかりしてる。最初のキャッチの場面、大森南朋のブチキレキャラと「あっ、今飯食ってたトコ。うん、すぐ行く−」みたいな軽い感じのギャップ、成吉のちゃんと地に足ついた生活したいんだとか言いながらずるいキャラ。そしてそのキャラたちがうまく交錯したり突き放されたりしていくシナリオも良かった(最後のほうで大森南朋と臼田あさ美が同じ帰り場所のない立場になり、それがつかの間で終わること。転がり込んだとこから始まった大森南朋と成吉の危なっかしい連帯が最後ぷっつり切れること)。

映画の話を書く際、せっかく映画なんだから殺させたり銃撃たせたりブチギレさせたりしてみようかなと思った。

エレカシもかっこいいが、原田芳雄の曲が挿入歌で入って「うぉー」とビビった

映画レビュー「NINIFUNI」 / Film review “NINIFUNI”

映画レビュー「NINIFUNI」

Film review “NINIFUNI” (I have explained a little bit about film in English below Japanese)

見てない人にはさっぱりかと思いますが、これから見ようとしている人、あるいは見た人の参考になれば。mixi に個人的な記録用に見た映画は必ずばーっと書いているんですが、それの転載でちょっと文が荒いですが。

2/10(金) 渋谷ユーロスペースにて鑑賞

期待していたが、あまり面白くなかった。

まず、致命的だったのは而二不二(仏教用語。説明できるほど知識はないが「空」を表す言葉、といって差し支えないはず)なのにとてもわざとらしかったこと。
特にすごく萎えたのは、主人公が海に行って波打ち際で靴が濡れないように波をよけているシーン。あの演出だけでもだいぶわざとらしかったが、最後にその波をよけてフレームアウトするところが、なんだか傍観者としてのカメラにも意図が生まれてきてしまったようで残念だった。

カメラマン、俳優、監督、誰が残念というわけでもないが、特に1シーン1シーンを大切にしていかなければいけない映画のはずが、構図がわざとらし くて落胆したのだと思う。ラストの方の、車の中から撮ってて(主人公もう死んでる?)、遠くの方でももクロが踊ってるシーン。あれで最後に、ダメだこりゃ と思った。わざとらしすぎる。

他にも、一晩明けて覚えている不自然なシーンは、車の中に自分でぶつかって車を揺らすシーン。カップラーメンを買おうとして長々と選んでいるシーン。

練炭に光が灯るシーンはよかった。あそこは自然だった。あれが主人公にとってのリアルなんだという感じがして。

あと良かったのは音のバランス。特に、暗転するシーン(画面が真っ黒状態)の長さとその後に来るノイズというか暗転する前の音との相性。なので、上記の練炭のシーンの後にももクロが登場する流れになった時は「おー!」と思った。

あと、これは映画そのものからは離れるが、ももクロがこの映画に出てくれたことが素晴らしいと思う。ももクロをプロデュースしているのがどういう人々かは知りませんが。
あと、40分弱の映画で一本分の料金とる挑戦的な感じもいいと思った。

而二不二だけに対称的な、本来なら無関係な人同士が交錯する様子が描かれているが、そういう数奇な偶発性を描いた映画ならベンジャミン・バトンのほうが格段に面白い。

“Ninifuni” is a film made in 2011 by Tetsuya Mariko. In my opinion, the film was not so interesting, but there are a couple of noteworthy points.

Firstly, pop group called “Momoiro Clover (means Pink Colour Clover *1)”, consist of 15-18 years old members, star in the film. Not so many pop groups of Japan star in this kind of dark films, considering image of themselves. (in most cases, the producers don’t allow to do so, I guess)

Secondly, sound balance and the duration of blackout are good. I learned blackout is very important for films from Akira Kurosawa’s interview. In this film, the sound & brightness of the scene prior to blackout and after blackout are well-organised, it was quite impressive and I reassured blackout is very significant method for editing film.

“Ninifuni” is Buddhist term, I don’t have enough knowledge to fully explain the meaning, but I can say it really relates to the concept of “Sunyata (emptiness)”. However, I found many unnatural and intentional sequence, acting & camera movement. Overall, very disappointing.

It has got the award in Switzerland film festival, so it might be possible to watch in Europe.

*1 Momoiro Clover

東京トマトジュース学園 〜Tokyo Tomato Juice Revolution〜

東京トマトジュース学園 (English explanation is below Japanese)

東京トマトジュース学園に入学した諸君、入学おめでとう。学長のリコピン神保です。当学園においてトマトジュースを4年間学ぶにあたって、同志諸君には私は毎年まず以下の3つの思想を党員として共有するよう要求する。

1. トマトジュースは透明のグラスに注がれるべきである。トマトジュース農家の人は種蒔きの段階から、ドナドナのような心持ちで出荷されるトマトジュースの後ろ姿を見守りながらトマトジュースが透明のグラスに注がれるあの瞬間を思い浮かべることを唯一の希望として生きている。中には、98歳のおばあちゃんもいる!!

2. トマトジュースには氷を入れるべきである。トマトジュース農家の人は種蒔きの段階から、氷を揺らしながら透明のグラスにトマトジュースにが注がれる、つまり自らの苦労が一瞬にしてトマトジュースの缶およびボトルから放出され、氷の滑らかな表面をつたいながらやがて消えてなくなるというカタストロフィックな情景を想定している。ちなみに、かのYMOやはっぴいえんどの細野晴臣のおじいさんにあたる細野正文さんは、氷山に衝突し沈没したかの有名なタイタニック号に乗っていた唯一の日本人だった!!

3. トマトジュースは無塩のものを買い、塩を自分で加えるべきである。農家の人は種蒔きの段階から、透明のグラスに入ったトマトジュースの上にやや前傾姿勢−敬礼業界の用語で補足するならば30度のお辞儀の状態−で塩をかけ、時々塩の蓋がはずれてしまって塩がどばっと入ってしまう情景や、入るどころか台所に塩をばらまいてしまい奥さんやら娘さんやらに「お父さんが台所使うと汚れるから台所使わないで!」とのけ者にされる情景などを種に、トマトジュース農家の人々に独特の赤い夕日対して感じるシンパシーを抱きながら、夕日がさす部屋でブラッディーマリーを飲むことを楽しみに生きている。ちなみに、私が学生時代にイギリスに留学して二日酔いになってまたその日も飲みに行く時に、イギリスの迎え酒はブラッディーマリーだと教えてくれたあの日からかれこれ早いもので4年の歳月が過ぎようとしている!!

以上である!

かの有名なカール・マルクスはかの有名な大英博物館の前にあるパブでかの有名な「資本論」をビールを飲みながら書き上げたというが、そのかの有名なカール・マルクスの娘は、あるアンケートでかの有名な父カール・マルクスについて答えました。ある質問で「かの有名なカール・マルクスの好きな飲み物は?」というのがありました。答えは、ビールではなくトマトジュースでした。かの有名なカール・マルクスのかの有名な格言たちの一部をトマトジュースに置き換えてみると、かの有名なダ・ヴィンチ・コード顔負けのかの有名なカール・マルクスのメッセージが浮き彫りになります。その言葉を最後に同志諸君に贈り、祝辞にかえさせて頂く!

「トマトジュースを解釈するだけでは足りない。トマトジュースを改革することが重要である!」

「トマトジュースの歴史は階級闘争の歴史である!」

■東京トマトジュース学園 主な就職先【2012年3月卒業生実績】
みずほフィナンシャルグ ループ、三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行、日立製作所、野村證券、NTTデータ、全日本空輸、損害保険ジャパン、リコー、東京海上日動火災保険、三井住 友海上火災保険、東京電力、東芝、三菱電機、トヨタ自動車、本田技研工業、富士ゼロックス、電通、富士通、伊藤忠商事、キヤノン、伊藤園、公務員 ほか

Tokyo Tomato Juice Revolution

I love tomato juice since I started to drink alcohol. I’ve got three policy as for tomato juice.

1. Glass for drinking tomato juice has to be transparent so that you can see the colour of tomato juice.

2. It’s the best to drink tomato juice with ice (like apple cider!).

3. It’s better to avoid buying tomato juice which includes salt. Salt has to be added by drinker himself/herself so that he/she can change taste depending on feeling and visually enjoy sprinkling salt on it.

That’s all contents! The rest of sentences are all jokes; wordplay linking Tomato Juice – Red – Communism – Karl Marx. Karl Marx part, I can manage to translate without loosing sense of humor, I guess. This story is fictional, and all sentences the speech of  entrance ceremony by the principal of TTJC – Tokyo Tomato Juice College. The principle talks about 3 policy of tomato juice which I have mentioned above, and finally concludes his speech by quoting from Marx’s life story. The extract is as follows.

One time, Karl Marx’s daughter answered questionnaire which is about her father Karl Marx. Karl Marx is said to finish writing “Capitalism” at the pub called Museum Tavern in front of British Museum. A question asked the daughter was “What’s Karl Marx’s favourite drink?”.  She answered “Tomato juice”, not beer. Karl Marx loved tomato juice, and if you put the word “tomato juice” in stead of particular word of Marx’s proverb, like The Da Vinci Code,  you’ll find what Karl Marx wanted to say…

Marx said “I’m not a Marxist.”, but I don’t know if he really liked tomato juice or not. Surely he liked beer, though.

「ピッ」は相変わらず「ピッ」だった〜 “Beep!” is as “Beep!” as usual〜

「ピッ」は相変わらず「ピッ」だった

〜これは、2/18(土)に僕が出演する同バンド名のバンドのパフォーマンスの一部として、朗読するために書かれたストーリーです。作中の登場人物、出来事、団体名、地名、商品名、国名、そして最後の写真は現実とはそこまで関係はありません。〜

 「ピッ」がその夜やってきたのは、二次会が始まって一時間ほど過ぎた時だったので確か10時過ぎだった。「ピッ」はこのためだけに仕事が終わったあとに新幹線に乗ってわざわざ大阪からここまで駆けつけた。「ピッ」 の他にも遅れて登場したクラスメイトは「いやあ、仕事が終わらなくてさあ。もう途中で諦めて切り上げてきたよ。元気?」と挨拶がわりの自己言及をして、 「とりあえず生で」と店員さんに言って、コートを脱ぎ、青いパッケージのハイライトをジャケットの胸ポケットから取り出して、もう一方の手でライターの行方を探しながら座った。「ピッ」はただ居酒屋の個室内にいる僕達の姿を見ると安堵の表情を浮かべて、何も言わずに手を上げて挨拶をして、コートを脱いで、その一番近くの空いている席に座ってにこやかに話を始めた。

その日の同窓会は前回の開催から5年振りの同窓会だった。和風の個室の中は、5年という長いのか短いのかよく分からない時間の流れが、元々の長さがよくわからないお互いの開いた距離の間を、行きべき場所がわからず彷徨っているような音がしていた。ワイワイしているとかガヤガヤしていると表現できるかもしれな いけれども、どちらかというと英語のBuzz-Buzz [bˈʌz-bˈʌz]という僕らにしてみれば何かが詰まっているかのように感じる音のほうが適切かもしれない。

「ピッ」はそんな5年という月日がつくりだす音が彷徨う流れの上で、カナダかどこかの静かな川をカヌーでゆっくりと漕いでいるような佇まいだった。「ピッ」が音もなくオールを漕ぐと水面に波が立つ。波はどこへいくでもなくゆっくりと水面に広がり、いつの間にか消えていった。

「ピッ」 は近くにいたクラスメイトたちと、近況とか展望とか問題とか希望とか不満とか思い出とか、そういった類のことについて語り合った。クラスメイトたちは「俺 の~」「私の~」「僕は~」「あたしは~」と、蛇口をひねればいつでもどこでも水が出てくると思っているみたいな口調で話した。「ピッ」はあくまで自分の まわりの人々や出来事の本質を、極めてシンプルに、最小限の言葉で話した。クラスメイトたちは同意とか反論とか質問とか提案とかを、色んな場所で身につけた色んなボキャブラリーやレトリックを使って話し合った。なんだか僕は、クラスメイトの話を聞きながら、喫煙スペースに漂うタバコの煙を、喫煙スペースの外から眺めているような気分になった。でも、「ピッ」の話を聞いていると、何について話しているかは違わないのに、春になったと気づかされる最初の風を肌で感じているような心地の良い気分になった。「自己について多くを語ることは、自己を隠す一つの手段でもあり得る」というニーチェの言葉があるけれども、不思議と「ピッ」の話は「ピッ」が話すだけで、最初の春の風が春を来たことを告げるみたいに、全てが説明された。クラスメイトたちは次第に心地良くなり、またその風がどこから吹いてきているのかが気になって、「ピッ」の話に魅了された。

僕達は始発まで飲み明かし、朝焼けに染まりひんやりと冷え切った真冬日の街を、「ピッ」を含めたクラスメイトたちとゆっくりと歩いた。街を見て、昔「ピッ」と僕が図書館に残る最後の二人になって、一緒に駅まで帰った時のことを思い出した。日の長い夏の日だった。帰り道に「ピッ」は、夕日を眺めてこう言った。
「太陽が自らの意に関わらず朝日や夕日の色彩をいつの間にか生み出しているように、人は自分の知らず知らずの内にいつの間にか世の中に光を放ったり風を吹かせたりしているのかなあ」

 そろそろ駅に着く。僕の隣には、今にも同じことを言いそうな表情をした「ピッ」がいる。

 「ピッ」は相変わらず「ピッ」だった。

“Beep!” is as “Beep!” as usual

This short story is for my band performance on 18FEB to be read during music performance. It’s fiction, but really based on my experience of reunion party (of University seminar, high school, primary school…).

The story focuses on the concepts such as change and time. When I attend reunion party, I frequently heard (or, sometimes I myself say) this kind of conversation;

“You haven’t change at all!”

“No, I haven’t. You haven’t, too.”

“No, I haven’t!. I won’t change such easily.”

Then, start to talk each other as if it’s for filling up blank between each other. The conversation might be the experience they shared, or might be what happened after graduation.

“To talk more about yourself can be one of the means to hide yourself more.” (I couldn’t find translation, so I translated. Not sure it’s proper.) Nietzsche says.

At reunion party, the subjects of the conversation like above say they haven’t changed each other, but this is because, I believe, they can’t grasp change happened to each other.

I describe the character called “Beep!” as existence comparatively (not completely) beyond time, accumulation of series of moment. The storyteller (lead role) finds what “Beep!” talks about very natural, attractive. On the other hand, the story teller finds other what classmates talk about very unnatural, not so attractive (or, just normal); to express this, I wrote ” I felt their way of talking is just like they believe they can get tap water anytime, any place on the earth.”

At the last sequence, “Beep” talks about the sun, symbolises beyondness (but not eternal).

As I mentioned, this story is to be read during band performance. Band performance will be minimalistic approach such as Neu! or early Kraftwerk.